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「埼浄青会報」第19号平成13年3月31日発行より転載。 |
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大河山華蔵院
圓福寺
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由緒沿革
当山は、発見された板碑に刻まれた「元弘3年」の年号により、鎌倉時代後期の開山である。
昭和3年には、江戸初期の名僧で太田の大光院開山の呑龍上人の誕生寺として、県の史跡天然記念地に指定されている。
呑龍上人は身寄りのない多数の子供をお弟子として引取り、手厚く育てたことなどから「子育て呑龍様」として多くの信徒に慕われ、敬愛されてきた高徳のご上人である。
当山も、歴代上人がそのこ遺徳を顕彰すべく各地を布教行脚したり、子供の無事成長を祈念し、お稚児さんを募り、呑龍講を組織するなど「一ノ割呑龍様」と呼ばれて、親しまれてきた。現在も、初参式から七五三などを始めとして、ご家族の無事息災を祈念する各種の御祈願を修しており、寺紋は徳川家の「葵の紋」を拝受している。
また、当山9世の生誉光世尊慮上人は清浄一途の志深く江戸中期の元禄時代・39歳の時江戸に居を構え、現在の曼陀羅堂内に安置されている寺宝の数々《浄土曼陀羅図像・釈迦浬契像・二十五菩薩来迎像・地獄絵図像など》や多くの仏像を自ら彫刻した。
その後、数々の彫像と共に帰山し、多くの信徒に阿弥陀如来の救いを説かれた光世上人は、生涯をかけた大事業のすべてを成し遂げ、享保5年10月18日より65日間の断食の行を修せられた。「極楽に往生した後は仏となってこの世に還り、人々を諸々の苦難から救い、幸せに導く」という誓願をたてられ、端座合掌、称名念仏と共に大往生を遂げられた、古今稀な聖徳のこ上人である。
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当山は、4月の第1日曜日に「圓福寺まつり」として、お釈迦様の降誕祭・呑龍上人像並びに曼陀羅堂内寺宝のお開帳を催している。町内の商店会とも協力し、露店を出したりフリーマーケットを開くなど、地域や近隣に開かれた寺院として布教活動を展開し、歴代上人のこ遺徳を顕彰している。
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(池田良鶴記) |
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