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「埼浄青会報」第21号平成15年3月31日発行より転載。 |
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快楽山微妙院
浄安寺
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由緒沿革
浄安寺は埼玉県岩槻市にあります。岩槻市は現在人形の町として知られ、江戸時代は城下町として、また徳川将軍が日光社参の際通った日光御成道沿いの宿場町として栄えていました。浄安寺はかつて真言宗の寺院であったといわれています。『新編武蔵風土記稿」には「当時往昔ハ真言宗ナリシカイツノ頃ニカ廃セシヲ永正二年(一五〇五一天誉了聞再ヒ開キテ今ノ宗二改メタリ故二了聞ヲ以テ開山トナリセリ)」と記されています。了聞上人は信濃国伊那郡高遠に生まれ、初め禅宗に入りましたが浄土宗の隆誉光問の説法に感動してその門下となり、やがて明応元年二四九二)増上寺第五世の住持となりました。
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浄安寺には高力清長、児玉南河など岩槻の歴史に名を残す人物の墓所があります。高力氏は熊谷直実を祖とし、清長の祖父重長が三河国高力郷に住んだ頃から高力氏を称し、徳川家康の祖父松平清康に仕えました。清長は三河国に生まれ、幼いときから家康に仕え、数々の武功を挙げたといわれています。児玉南何は諱をj、字を剛郷、通称を宗吾、号を南柯で知られています。延享三年(一七四六)甲府で生まれた南何は武蔵武士の雄族豊島氏の後喬で、絵島生島事件として有名な江戸城大奥の年寄絵島が祖父の姉にあたります。
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浄安寺の本尊は本堂の奥にある位牌堂に安置されており、後背、蓬座は後世の作ですが、平安時代の作とされる木造の阿弥陀如来像です。本堂中央の須弥壇に安置された木造阿弥陀如来は中位で印を結ぶ珍しい姿の坐像です。なお、この阿弥陀如来像は同町内にあつた観音寺の本尊で、その巨大な像容から「岩槻大仏」と呼ばれていました。
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(吉水大順記) |
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