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「埼浄青会報」第18号平成12年3月31日発行より転載。


延年山無量院
長福寺

由緒沿革

 長福寺は慶長2年(1597)3月、呑龍上人(1556〜1623)によって開山建立されました。当時それまで千日堂と言いましたが、上人は人々の願いを聞き、延年山無量院長福寺と寺号をつけて、2年間ご住職を務められました。上人42歳の時のことでありました。その後上人は、観智国師の推挙によって、徳川家の菩提所、太田の大光院を建立し、開山一祖となられました。以来当山は、大光院の直末寺として長年歴代住職が派遣されていました。

 本堂は明治の始めに火災に遭い、さらに昭和6年の大地震により被災して、長い間、荒れ果てたままでありました。その後昭和35年8月に屋根替えの大改修を行ったものの、老朽化が進み、平成7年12月現在の新本堂が完成しました。昔より呑竜さまと、地域の人々に呼び親しまれてきたことによって、大勢の方のご協力をいただき、この大事業が成功いたしました。
 落慶法要は、開創四百年にあたる、平成8年10月26日に諸大徳43名もの随喜のもと厳修されました。堂内には本尊阿弥陀如来、呑龍上人像、また呑龍上人自作と伝えられる木像が安置されています。

 境内には本堂のほか、閻魔堂・稲荷堂があり、夏から秋にかけて秋の七草の}つである女郎
花(おみなえし)が淡黄色の小花を咲かせています。
 慶長3年の3月に、武蔵野国は八幡の、千日堂に参籠し、たいざいなせし其の内に、寺號のこをしよを願ひして、延年山は無量院、長福寺をばこんりうし、ここに二年の御住職。
『呑龍上人一代記和讃』
より
(吉田真典記)

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